絶望引きこもり人生から希望突き抜け人生へ
「タクロログ」の運営をしております、TAKUROuです。
現在、職業はトラックドライバーをしています。
2024年問題で残業時間が減ってからは、ブログや自分の夢のために色んなことに挑戦しています。
家族は妻と子供3人、海岸沿いの一戸建てで賑やかに暮らしています。
実体験から得たこと
小さい頃から親父は俺の容姿のことをバカにしていました。それはきっと俺が男だったから見た目をバカにしたところで気にしないだろうと思ったのでしょうが、全くそんな事はありませんでした。めちゃくちゃショックでした。自分の子供にブサイクなんてよく言えるもんだとも思いました。それくらい無神経で頑固な親父でした。それからというもの私は何か都合の悪いことや、いじめに合ったりするたびに自分の見た目のせいなんだと思うようになりました。そして遂に高校在学中に二重まぶたの整形手術を受けました。結果、見た目を変えたところで人生は良い方向には変わらなかったです。随分先にわかったことですが人は見た目を変えただけでは絶対に変わりません。積極的な心が人生を変える(決める)のです。
少年時代
わたしが小学校5年生くらいの頃、PCエンジンDUO(本体価格¥59,800)というゲーム機が発売されました。
高っ!!
その頃のゲーム機といえばスーパーファミコン全盛の時代でしたから、TVゲームの中のキャラクターが生き生きと声を出して喋ってることに「時代の最先端を感じて」わたしは興奮し驚きを隠せませんでした。
その当時人気ゲームソフトだった「天外魔境Ⅱ 風雲カブキ伝」が欲しくて✖2たまらなくて、親におねだりしていました。
うちがよっぽど貧乏だったら、「そんなん買えるわけ無いだろう!」と言われて、一蹴されて終わりだったと思うのですが、今思えば、財政的には豊かだったのだろうと思います。家のローンもなかったし、車も持っていなかったので。結局、父親とTSUTAYAに行った時に買ってもらえることになりました。
TVの中でカブキ団十郎(主人公キャラ)が喋りまくる姿(確か声優さんは、山口勝平さんだったと思います。)がとにかく格好良くてそのキャラクターに惚れ惚れして、とにかくこのゲームの素晴らしさを友達に自慢しようと、とっかえひっかえ家に呼んでいたのですが、このゲームは一人用のゲームでしたので、実際はわたし一人が延々とゲームしてるだけ。
そりゃまぁ、友達はつまらないでしょうから、離れていきますよね。
その後時代は、格闘ゲームがトレンドになり、ゲームセンターででストⅡやキング・オブ・ファイターズが流行りだして、わたしはずっとRPGなどの一人で楽しむゲームにハマっていましたから一瞬で周りから孤立していきました。
スポーツも勉強もゲーセン(不良にからまれるのが特に嫌だった)も苦手でしたので、一人で家にこもってゲームするようになりました。
思春期
中学校に入ると、異性を意識し始めますが何の取り柄もない自分は、モテたい一心で無理やりサッカー部に入ります。
目立ちたがり屋でしたので、ボールを蹴ってシュートを撃ち、ゴールを決めて周りから持て囃されたかったのですが、1年生は走り込みがメインでしたので、体力のない自分はすぐにドロップアウト。
「なんだこれ、つまらん」と不貞腐れて早々に退部届を出して帰宅部になりました。
そこからまたゲーム三昧の日々を送り、周りからはどんどん孤立していきます。
父親からは「勉強しないのなら、高校には行くな」と言われていましたが、みんな高校に行くのに俺だけ一人ぼっちやんとか思いながら、母親を説得し、何とか私立の高校に行けることになりました。
入学できたのは良いですが、見栄っ張りな性格がモロに影響し、弱っちいくせに強がって見せていましたからうまく馴染めないで苦しんでいました。
そして高校1年生の夏休み
何を思い立ったか、自分の顔を変えれば、周りの対応も変わって人生明るくなると思い込み、
母親を説得して、まぶたを「二重にする」ことに決めました。
結果、満足したのは最初の3日間くらいでした。
いざ始業式の直前になると、めちゃくちゃ後悔。
想像すればわかると思いますが、整形した状態で登校するのはかなりの勇気を要しました。
わたしは先のことを考えずに行動してしまう癖があります。
高校1年生で、しかも男子生徒が整形するなんて事は見たことも聞いたこともありません。当時はまだスマホもなかったですし、情報も乏しかったです。
良かれと思ってやったことでしたが、自己嫌悪に拍車をかけ、次第にまた孤立していくのです。
その時から、世の中から消え去りたいと考えるようになりました。自殺する勇気なんてなかったですから、引きこもる以外選択肢は見つかりませんでした。
最初親はうるさく文句を言ってきましたが、わたしが頭にきて怒鳴り返すと、そのうち何も言ってこなくなりました。
それからしばらくのあいだ、学校も行かず自分の部屋に引きこもっていましたが、孤独感から逃れるために、オンラインゲームや、出会い系で寂しさを紛らわせていました。
高校だけは卒業しないと将来困るだろうとわたしの身を案じてくれた母は通信制の高校を見つけてくれて、わたしは当時東京の四ツ谷にあるクラーク国際記念高等学校という通信制の高校に編入学することになりました。
なんのために?
何となく高校を卒業しましたが、その後やりたいことも見つからず、何となく、音楽雑誌の編集者でもやってみようかと思い、東京ビジュアルアーツに通い始め、その時にバイトで稼いだお金はすべて音楽CDやギターの購入費用に当てていました。
その当時、ニルヴァーナや、アリス・イン・チェインズなどのグランジロックや、ビートルズ、ストーンローゼズやレディオヘッドなどUKロック(オルタナティブ・ロック)、ジミー・イート・ワールドなどのエモなどにもハマりだして、金に糸目を付けずCDを買い漁る日々。
グランジと私の心情が似ていたのか、全ての抑圧から解放され自由になりたかったんだと思います。
最終的には約2000枚のCDに囲まれるミュージックジャンキーと化しました(笑)
専門学校では友達が出来て、いつも同じ5~6人グループで動いていました。今となっては、わたしのような人と友達になってくれて、感謝の気持ちしかありません。
しかし、目的が「何となく」だったわたしは、日に日に学校に通うのが億劫になっていきました。なぜかといえば、周りと比べてわたしは何も出来ない。みんな確固たる目的を持って学校に来ていると思っていたので、成長も早かったですし、わたしはこのままだと置いて行かれるという焦りから、居た堪れなくなりました。
考え方の根本は、「わたしは努力することを必要としない、なんのために努力するんだ?」です。
なぜなら、今まで何の努力もせずに親のスネをかじって生きてきたからです。何も学ぶ必要性がない、そもそも勉強嫌いだし、別に自分で何かをするわけでもなく、好き勝手やっていても生きていけるなら、なんのために勉強するんだ?です。
わたしの親父の信念は「一所懸命」と「忍耐」でしたので、どちらも苦手だし、クソ喰らえと思っていました。
結局、専門学校は1年で辞めました。
「何をやっても続かない」と親からも自分からも思われていましたが、今思えば根本の考え方に原因があるってことにも気付かないまま、そういう人間なんだから仕方ないと半ば諦めて、そんな自分を責めて苦しんでいました。
でも、自分を責めてると、今思うと本当に不思議なことだと思うんですが、内側が反抗するんですよね。
自責→他責→破壊衝動みたいな感じで。自殺すりゃいいのにって思うんですが、それで死ねたら楽ですが、そうはいかない。
そもそも「わたし」はわたしの意思とは関係ないところで生かされていることを知ると、納得いきます。