すべては愛を学ぶためだった。

こんにちは。TAKUROです。

唐突ですが、わたしたちはみんな地球という不思議な世界に命を宿しています。

この不思議な世界の原理原則は、常に今の自分のこころの状態によって、世界の見え方が変わるということです。

ということは、つまり自分が思ったことが現実になるということです。

例えばですが、あなたが車を運転中に後ろから迫ってきた車に無理やり割り込みされた時、どう感じるでしょうか?相手に対して怒りを覚えるのか、きっと急ぐ理由があるのだろうと、わたしもそういう時があるし仕方ないと思うのか。

前者の場合、割り込みされたことに対して「自分が劣っていると思われてる」と心が感じているから怒りという感情が湧いてきます。後者の場合は、「相手に何かあったのだろう」と相手を慮る心があるために、平常心を保てます。

仕事やなんかでも、自分はやることが多くて大変な思いをしているのに、あの人は楽な仕事ばかりで許せないとか、あの人は時間もお金もあるのに、自分は時間もお金もそんなにない。小さい頃から親や学校から他人との競争を教えられた人にとって他人と比べる癖っていうのは必ずあると思います。

最近わたしがよく耳にしている中村天風さんの言葉で「積極(せきぎょくと読む)」という言葉があるのですが、つまりこころの向きが前向きならば、そのようなこころの状態にはならないんじゃないかということです。誰かと比較すること自体が自己否定的ですし、消極的な心が原因で起こる事象であると。

わたしは高校1年生の時に美容整形に出会い、顔を変化させれば日常が変わるのではないかと淡い期待を持ちながら二重まぶたにしてもらいましたが、こういうことは何度やっても満足することはありません。例え顔が木村拓哉になろうと、反町隆史になろうと、考え方の癖をどうにかしないことには理想の人生なんて程遠いです。少しはモテるようになるかもしれませんが、よく考えてみてください。

自分のことが嫌いな人が整形したところで自分を好きにはならない。そういう人間は、異性からもし容姿や何かを褒められたりしても、まず受け取りません。意味わかんなくないですか?表面上は「モテたいから整形した」ですが、内面では「このままの自分が嫌い・愛せないから整形した」つまり、このままの自分を嫌いで愛せないと思っている人間が、表面上をいくらとっかえひっかえ変えたとしても何も変わらないということです。

人それぞれ目的というものがありますから、整形が一概に意味がないと思っているわけではありません。理由によっては、そんな大金払うことはないよ。問題はそこじゃないんだと言いたいのです。

わたしには妻がいて、3人の子どもに恵まれました。子どもの中で、ぱっちり二重の子どもは一人もいません。ぱっちり二重はわたしだけです。以前は後悔、自責の念というのがありましたが、今では子供たちは大きくなり妻が愛情たっぷりに育ててくれたおかげで、みんな自分が大好きな子どもに育ちました。元気いっぱいで家の中はいつも賑やかです。

人と比べて自分は劣っていると感じる時というのは誰でもあると思います。その劣等感(「感」つまり思い込み)を動力源にして何かを頑張るよりは、自分を愛することを学んでいったほうが、絶対にうまくいくと思います。もちろんわたしのように40過ぎてから学んだということもあると思います。

だけど、これを読んでくれているあなたが、もしわたしより10歳でも20歳でも若ければ(現在わたしは42歳)、何を置いてもまず先に自分を愛する方法というのを最優先に学んでいただきたいと思っています。学び方はなんでもいいんです。本でもYouTubeでも、自分がこれいいなと思える考え方に触れるだけで、世界が変わるような感覚を味わえます。わたしは読書が好きで毎日のように本を読んでいますので、個人的には読書がおすすめです。

その中でもわたしのおすすめは、アダルトチルドレンから自由へ Kindle版です。3部作みたいになっていますが、1冊ずつ完結されています。Kindleなのでこれいいなと思える文章はマーカーすれば勝手に記憶されて、思い出したい時にすぐ思い出すことが出来るので便利です。


YouTubeだと、こちらがおすすめです。

ひすいこたろうの名言セラピー

愛と好きの違いとは?

「好き」とか「嫌い」は感情的なもので、例えばアルファードという車が好きでお金をためて購入したとします。最初のうちは、1週間に2回以上洗車してしまうくらい大好きで、傷などつけようものなら黙っていられません。しかし1年「所有」して見ていればどんなものでも「飽きてしまう」ものです。

「愛」というのは、急に湧いて出てくる感情ではなく、いろいろな思い出の中から学んで身につける「技術」だと思っています。ピカピカの車よりボロボロの車をずっと好き好んで乗っている人いますよね?故障したら、自分で調べて部品を取り寄せて自分の手で直してあげるとか。そういう人は新車に乗り換えるお金はあっても、壊れるまでは絶対手放したりしません。そういうのが、好きも嫌いも超越したところ、つまり「愛」なんです。

「愛」は例え傷つけられても苦労を強いられても、代償を求めない心のあり方だと思います。

だから結婚式で「愛を誓う」っていうことは、ものすごい「覚悟」がいることなんです。

欠点とは。

どんな人間にも欠点があります。欠点とはその人の欠けてるところじゃなくて、欠かせないところというのがわたしの見方です。なぜなら、欠点は「愛される」ために絶対に必要だと思うからです。完璧(メディアが作った虚構のイメージ)を求めることはすなわち自分(人間)を拒絶することに直結すると思っています。自分と誰かを比べる必要はありません。あなたはあなたのままで愛されていいんです。

神さまとのおしゃべり -あなたの常識は、誰かの非常識- Kindle版の著者であるさとうみつろうさんが仰っていました。好きも嫌いも含めてジャッジする必要がなくなった時、悩みは消え去ると。つまり、あなたが嫌いな人を愛することができれば、悩みは消えると仰っていました。

そこで嫌いな人を愛するコツですが、考え方の根っこは「人類みな兄弟」です。元々すべては一つであるという考え方。「イチブトゼンブ」です。嫌いな人とというのは言い換えると自分の固定概念に気付かせてくれる存在でもあります。自分が正しいと信じていることに相反するために、反応してしまうんですよね。それってつまり自分ができない部分を補ってくれているということでもあると思うのです。自分には必要ないかも知れませんが、全体として考えれば、必要だってことです。あなたも、その人も、わたしも。

そう考えれば毛嫌いする必要もないですし、その人を意識して媚びへつらうなど、相手の機嫌を取る行為は以ての外です。「みんな違ってみんないい」という考え方で、割り切ればいいんです。変に意識せず、堂々としてればいいんです。「みんな違ってみんないい」んですから。もちろん直接嫌がらせしてくるような相手ならば話は別ですが!!

ありがとうございます

最後まで読んで頂き本当にありがとうございます。

この文章が、あなたの生き方に1%でもプラスになれば、嬉しく思います。感想、相談事などございましたらお気軽にお問い合わせください。わたしに出来ることは協力いたします。

今日も生きていることに感謝して、生まれ変わった気持ちで愛を学んでいきましょう。世界は広いですが、本やYouTube、ネット環境のおかげで世界中の情報が自宅で学べることができる時代に生まれたことは、本当に幸せなことだなぁと思います。だって、こんな豊かな時代に誕生したという奇跡は、本当は起こらなかったかもしれないのですから。

毎日を生きることは、与えられた権利ではなくギフトなのです。

みんなすでに100点満点なのです。

それでは、あなたの幸せを願っております。

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この記事を書いた人

読書バカな引きこもりブロガーです。
読書量は、月10冊(小説からビジネス書まで幅広く読んでいます。)

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